サステナブルな人生ゲーム(大型連休に考えてみた)

 大型連休は、家族で「人生ゲーム」に興じた。

 玩具店で目にした時には懐かしさと共に、今でもあるのかと驚いた。ステイホーム2年目の連休はこれだ、と即購入。

 知らない方もいるかと思うので、一応説明すると、このゲームは双六の発展形。ルーレットを回し、その目によって職業、結婚や子ども誕生といったイベントが発生する。また、家購入、株式の購入やその高騰、暴落などさまざまな金銭に絡むイベントも多い。順位は、ゴール時の保有財産額によって決まる。「目指せ!億万長者」。商品パッケージはこのゲームのコンセプトを端的に語っている。

 1960年にアメリカで生まれ、68年にタカラ(現タカラトミー)から日本でも発売され、現在のものは2016年発売の7代目。1975年生まれの私は、小学生から高校生になるくらいまで、このゲームに興じていたような記憶がある。

 我が家の小学1年生も、すぐにルールを覚え、楽しく遊んだ。さらに、お金の数え方、あるいは釣銭の計算も身につくという利点もある。大人は懐かしく、子供は少し大人の気分を味わえるのだろう。家族皆、夢中となる。

 しかし、ゲーム後半になると、少々興奮が冷めてくる。

 ゲーム中の「私」には安定した仕事があり、子供はないが妻があり、「お宝」という莫大な資産もあった。1位になれるかどうかは分からないが、借金生活に転落するとか、失業や離婚の可能性はない。(ちなみに、このゲームでは結婚が義務付けられているが、離婚というイベントはない。なぜだろう)なかなか良い人生だ。このままのゴールで十分満足。トップじゃなくても良い。

 隣で興じる小学生は、借金生活に陥る危機を迎えていた。給料が低いわりに、出費イベントが続いている。同情してしまう。こちらの余裕資産を分けて支援したいが、それはゲーム上許されていない。

 もう1人の小学生は、自分のお金を数えるのに夢中で、他人を助けようなどどはこれっぽっちも思っていない。私も昔はこうだったはずだ。

 今は違う。お金は大事だが、それで勝ち負けが決まるわけではない。仕事があり、生活に困らないだけの蓄えがあれば、それで十分。富をさらに増やすよりも、やるべきことがあるんじゃないか。

 こうした価値観の変化は年齢や経験だけでなく、時代の影響もあるように思う。

 目の前の小学生は、夢中でおもちゃのお金を数えているが、今の高校生や大学生は違うようだ。

 54日の毎日新聞朝刊には、環境活動家の大学生と、気象学者の対談が掲載されていた。大学生は2001年生まれ。今は大学を休学し、全国の高校で講演活動をしているらしい。

 また、NHKによれば、日本でも毎週金曜日に学校を休んで、気候変動対策を求める活動、いわゆるFriday For Futureが始まったらしく、42日には、経済産業省の前に、6人の大学生と高校生がプラカードを持って立った。

 彼らはきっと、この富を競うゲームに違和感を感じるだろうし、目の前にいる小学生たちも、それほど遠くない間に興味を失う気がする。

 そこで、次の人生ゲームには、こんなイベントを加えるのはどうだろうか。

「地球環境保全のためのNPO設立のために、全財産の半分を拠出する。環境カードを5枚もらう」

「温暖化対策に消極的な政権に対する抗議デモに参加する。一回休み。環境カードを1枚もらう」

 ゲーム終了時には総資産を競う一方で、プレイヤー全体で獲得した「環境カード」を集計し、環境保全にどれだけ貢献できたか、を測る。

 もし十分な貢献ができていなければ、全員失格。人々の非難は、個人資産を蓄えるばかりで、次世代のためにお金を使わなかった「資産家」たちに向けられる。

 なかなか面白そうではないですか。

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