年末に、神保町の書店にて、ある本と出合った。
山吹いろ一色のカバー。表紙には、縦書きで3行、大きくサブタイトルが入っている。
天才はいない。
天才になる習慣
があるだけだ。
2行目だけが銀色で囲われていて、とても目立つ。
「天才」と「習慣」。どちらの言葉にも私は惹かれる。その2つが合わさって、さらに迫ってくる。棚から手に取って、パラパラとめくると、次々と眼を引く言葉が現れる。
アウトプットの質と量は、インプットの質と量が決める。
アイデアは思いつくものではない、出るものだ。
天才はアイデアを生み出す「仕組み」を持っている。
私は20代の頃に広告代理店でコピーライターをしていたので、こうした本はよく読んできた。面白そうだ。しかし、何だか自己啓発本のような雰囲気もある。今の私には必要なさそうだ、と棚に戻して、また書店内をウロウロする。しかし、どうも気になるので、また戻ってきて、少し読んでみる。
自分を賢くしないものを、自分の目と耳と口に入れない。(中略)これはクリエイティブ教育におけるもっとも重要なテーゼであり、本書で伝えたいことのコア (p31)
今の生活を振り返ってみると、自分を賢くしないゴミを身体に入れているなあ、と反省。さらに次のような言葉が、胸に刺さってくる。
「本は頭のダンベル」論(p60)
「読書こそが最強のインプット」と著者は考える。その際たる理由は、「常に頭に適度な負荷がかかる」から。
読みやすくて楽しいだけの本は、頭のトレーニングではなく、単なる頭の休息である。(p61)
2年前まではスポーツ科学関係の論文に定期的に目を通していたが、去年はほとんど読まなくなった。今や「単なる休息」のようなものしか読んでいないのかもしれない。
この本は今の私に必要だと感じて、ようやく購入。
とはいえ、すぐに読むには気が重いので、1週間ほど自宅の棚で寝かした後、一気に読んだ。
著者は編集者であり、国内外のトップクリエイターと仕事をしてきた人物。大学などで若者向けのクリエイティブ教育も長年続けている。そうした経験をもとに「クリエイティブであり続ける生き方」を本書は伝えている。「クリエイティブな人生という山登りを継続するための指南書」である。
「クリエイティブを学ぶための100冊」や「クリエイティブ・インプットのための映画ベスト100・音楽アルバムベスト100」なども紹介されている。恥ずかしながら、知っているものは1/3も無い。クリエイティブという山は、私にとってまだまだ未開の地。これから一つ一つ味わうのが楽しみになってきた。
しかし、次のくだりには少々違和感も覚える。
第1土曜日は美術館めぐりを習慣にする。(p142)
大都市に住んでいるプロの人たちには、美術鑑賞は都市生活者の特権とも言える利点だということを強調したい。(p144)
都市生活者の特権という点は賛同する。しかし・・・。
休日に、音楽インプットのルーティンの時間を設けるしかない。土曜朝の40〜60分でいい。(p183)
これはどうしたものか。
「クリエイターはね、1人でいなきゃダメ。結婚しない方が良い」
これは、ある女性クリエイティブ・ディレクターが時折こぼしていた言葉だ。かつて勤めた外資系広告代理店の上司で、私は大変尊敬していた。
本書を読み進めるうちに、なぜかこの言葉が心に浮かんできたのだ。
参考図書
「インプット・ルーティン」(菅付雅信、ダイヤモンド社)