噛み合わない質疑
今年は「人生初めて」が多い。なんといってもラグビーワールドカップ。初観戦を堪能した。そして、このワールドカップの影響による、8月のオフ。大学院での勉強に費やせた。もう一つは、先日の学会発表である。
現在、日本体育大学大学院修士2年。第70回日本体育学会で発表する機会を得た。テーマは「ラグビーにおけるラインアウトスローイングの指導法の研究」。プレゼンテーションは慣れているつもりだが、今回は発表時間がわずか10分。その間に、未だに慣れない専門用語を用いて、研究成果を伝えなくてはいけない。「自分が完全に理解していること以外は口にしない」と方針を決めたところ、首尾よく終わった。しかし、その後の質疑応答は首尾よく成功とはいかなかった。
「指導前後にパフォーマンスは変化したのか」が質問の内容。私は、自分が指導した選手たちの、その後の試合でのパフォーマンスについて説明した。しかし、どこか噛み合わずに応答は終わった。発表終了後に研究仲間より、「パフォーマンス」とは、試合ではなく、実験における結果のことだと指摘を受けた。
「パフォーマンス」の定義
スポーツの現場では「パフォーマンス」といえば、試合での結果を意味する。ところが、研究の現場では、対象がスポーツであっても、実験の結果を指すのだ。お互いにそれが当然だと思って、話を進めてしまった。私は質問を受けた時点で、パフォーマンスの定義を確認すべきだった。2つの現場を行き来するには意識のコード変更が必要なのだが、本当にこれで良いのかとも考えてしまう。
何がこの「パフォーマンス」定義の違いを生むのか。それは評価の基準だと思われる。スポーツの現場で、評価されるのは、勝利であり、技術の成功である。一方、研究では主に数値上の変化が求められる。研究対象である選手やチームが勝利しても、それが研究成果として測れるものでなければ評価されにくい。「測れるものしか評価しない」。これが研究の世界だと私は感じる。しかし、実際の試合では、環境が常に変化する。対戦相手、天候、選手の心理状態など、測れない要素は多い。すると、研究者は、試合よりも実験の結果を重視するようになる。現場からすれば、これは本末転倒に感じられ、疎まれる。これが、研究成果がスポーツの現場に活かされない一因と思われる。
研究成果をどう活用するのか
両者の世界を行き来していると、現場で活かされるべき研究成果が多くあることに気づく。しかし、論文は専門用語が多く、英語で書かれている場合もある。これも現場のコーチにはネックとなっている。
研究成果を上手に使うコーチとして真っ先に思い浮かぶのは、エディー・ジョーンズ氏である。前回のコラムに、たまたま彼のセミナーに参加した際、この人なら日本代表を勝たせるだろうと直感的に思ったと書いた(ラグビー日本代表が「史上最強」ではないかもしれない2つの理由)が、その際の話が研究に近い内容だったのだと今になって思う。例えば、強豪チームの得点パターンのデータから、世界的なラグビーのトレンドを説き、これに必要な練習内容を列挙する。そして、勝つチームを作るなら、すべての練習にこれらの要素を含ませるべきだと結論づける。話の細部まで、データと論理に基づくものだった。もちろん、持論に都合の良いデータだけを集めたという側面もあるだろうが、それも研究成果の活用法だ。
サイエンスが侵食しているスポーツ現場
コーチングはArt(職人芸)なのか、Science(科学)なのかという議論がある。勝つチームの文化を作り上げる、選手のモチベーションを高めるなどはアートの部分であり、チームの成功を左右する重要な要素だ。一方で、科学的根拠に基づいたコーチングも求められている。根拠のないコーチングが不毛な練習を生み出してきたのは周知の事実だ。現在は、かつては手に入らなかったデータが現場に流入し、サイエンスがアートを侵食し続けている状況だと言えるだろう。
では、データがアートを駆逐するとどうなるのか。
「ルートワン・フットボール」(最短距離のサッカー)という例がある。『サッカーデータ革命』によると、これは世界最初のサッカーアナリスト、チャールズ・リープが提唱した理論である。会計士だったリープは、サッカーのフィールド上における大量のデータを集め、1968年に科学論文にまとめる。リープの仕事は、それまで誰も想像していなかった視点をもたらしたが、リープ自身の視野を狭める結果となった。「得点はシュート9本当たりに1回、その多くは相手のペナルティエリア付近でのボール奪取後に生まれる」。こうしたデータに基づき、「出来るだけ手間を省いて、相手のゴール前にボールを蹴り込むべき」との結論に至る。
しかしながら、この戦法を繰り返せば、相手は簡単に対応できてしまう。また、観客にとって魅力的なスタイルでもない。このリープの理論は、その後イングランドサッカーが停滞する一因になったとされている。データは考えるための材料だが、短絡的な結論は大きな失敗を生み出す可能性がある。
現場で必要とされる2つの視点
データはコンピュータで算出され、実験は実験室で実施される。現場とは環境が異なる。そこで目利きが必要だ。研究と現場で何が異なり、何が当てはまるのか。どの部分が現場で活用できるのかを見抜く目である。これが新しい試みにつながり、コーチングの質を高めることにもなるだろう。
もう一つ研究の活かし方がある。それは客観的な視点である。件の質問を受けた後、私は実験時のパフォーマンスを確認し、その数値に驚いた。私の指導の結果は、想像よりもはるかに悪かったのだ。そこで対策を考え、次の指導で修正を行うことができた。客観的な数字は、反省の機会を与えてくれる。試合でのパフォーマンスには測れない部分が多いのは事実だが、それは指導者の言い訳にもなる。天候や審判の判定、試合展開を理由にすることで、指導上の間違いが見えなくなってしまうこともある。
Coaching is an art based on a science.
(コーチングは科学に基づいたアートである)
指導教官から教わった言葉である。
(初の学会発表。理解していないことは口にしないという方針で乗り切った)