テレビの音、ラジオの音。(コラム49)
サウナの中のテレビ問題
サウナ好きが増えている。私もハマっている。今週は7回行った。最近レッスンを手伝ってもらっている高校3年生も毎週行くと言っていた。
昼間に行くことが多い。早朝から事務作業をしているので、その疲れを癒す。午後は、練習の準備をしたり、企画書を買いたりする。サウナ、水風呂、外気浴のサイクルが、活力とアイデアを与えてくれる。
外国人が日本に来て驚くものの一つは、サウナにテレビがあることだと聞いたことがある。サウナはリラックスするためにある。テレビを設置しようという考えがないのだろう。
私が通う銭湯にも、サウナにテレビがある。私は余計な情報を入れたくないので、俯くか、テレビがない方を向いて座る。音は小さく絞られているが、難聴の私の耳にもザワザワと伝わってくる。サウナ内の同席者たち(8割おじいさん、1割同年代のおじさん、1割若者)は、情報番組を熱心に見入るか、私のように顔を背けるかのどちらかだ。
我が家にはテレビがないので、普段は全く見ることがないし、サウナでも見たいとも思わない。ただし、ある瞬間になると目を向けてしまう。
番組のコメンテイターたちのザワザワとしたお喋りが終わり、CMになると私の耳は反応する。昔から、CMだけはよく見ていた。広告代理店でコピーライターをしていた頃には、CMザッピングを習慣にしていた。番組は見ないでCMだけを探すのだ。番組が始まると他局に変えて、CMだけを見続ける。面白いと思うものがあれば、それについて考える。このCMの制作意図は何か、どういうコンセプトのもとで作られたのか、何が面白いと感じたのか、などなど。
ちなみに、今週は「近藤マッチ」のCMが連発されていた。60歳となり耳が遠くなったマッチが、コンサートで観衆の声がよく聞こえないから耳鼻科へ行く、という内容だ。面白いとは思わなかったが、あんまりにも頻繁なので注視するとACジャパンの広告だった。ああ、この局はフジテレビなのか、とようやく気付いた。
テレビは見ないが、ラジオはよく聞く。運転中にニュース解説番組を聞くのが習慣だ。さまざまな分野の専門家が分かりやすく説明してくれる。テレビは大勢の出演者で構成されるが、ラジオは出演者が少ない。その多くは喋りのプロで、私にも聞きやすい声で話してくれる。落ち着きのある声、魅力的な声の持ち主も多い。ただし、CMになると飛ばすことにしている。テレビの場合とは逆なのだ。テレビとラジオでは何が違うのか。
音が違う、と思う。
難聴だと、感覚が異なるのかもしれない。
テレビは見るものではなく、聞くものだと言った人がいる。テレビは、休息の時間に眺めている人が多い。目には入っているが、集中して情報を入れようとはしていない。そういう状態の人に対しては、音で引きつけないと注意を喚起できない。
テレビCMは、映像を撮った後、スタジオでの編集作業で音を入れる。ジングルや効果音にも最新の注意を払い、曲やサウンドロゴの選定には、クリエイターをはじめ、多くの人がかかわる。CMを見る人にとって心地よく、記憶に残り、好印象を与えられるように、繰り返し調整する。それだけ凝縮された音なのだ。
一方で、テレビの番組は、伸びきったような雑音が流れ続ける。編集は出演者のトークを中心としたものであり、音の心地よさを意識したものではない。視聴者が気持ち良く感じるかよりも、強い刺激を与えることを意識しているのだろう。
ラジオCMにも似たような傾向を感じる。可能な限り多くの情報を、短い尺に詰め込もうとする。そして、ひたすら繰り返す。騒音のように感じるので、私は広告主に対して悪い印象すら抱く。これは私だけなのだろうか。難聴だから、余計に入ってくる音に敏感なのかもしれない。
いずれにしても、サウナにテレビは不要だと思う。唯一、許容できるのはNHKの国会中継だけである。これも個人的な理由だ。私は低音難聴であるため、男性のような低い声は入らない。相変わらず男性だらけの国会議員の話は、ほとんど耳に入ってこない。しかもCMがないので引きつけられることもない。
サウナは非日常の空間だ。熱波と冷水を浴び続け、頭の中を空っぽにしたい。外気浴で聞きたいのは、自分の心の中の声だけだ。