プレゼンの矢印

想像力の種
 ラグビーコーチは多弁が多い。このスポーツについて、話し始めると止まらない。自分の知識と熱意を余すところなく伝えようと、弁を振るう。
 悪いことではない。その姿を見た者は、情熱を感じとるだろう。ただし、問題もある。それは、プレゼンテーションの場でも多弁になってしまうことである。

 先日、ある電機メーカーの営業担当者から商品説明を受けた。それは、分析業務に使用する機材である。こちらも調査をした上で連絡していたので、ある程度の知識は持ち合わせていた。ところが、担当者はその機材に慣れていなかったのか、向かいに座る私に対し、手元のカタログを読み上げた。
 向きが違う、とその時に思った。カタログの向きである。その機材の詳細が記載されたカタログは、購入検討者に向けられるべきである。カタログには、ビジネスでの実用例が多数紹介されているはずである。私はそれを見て、ラグビーの現場でどう活かそうかと勝手に想像を膨らませただろう。しかし、カタログを読み続ける担当者の姿を見て、私の中の期待は消えてしまった。

コーチングと営業活動
 翻って、ラグビー現場でも同じようなことが起きていると反省した。コーチはプロジェクターが映し出す映像をポインターで指し、自分の見解と知識を選手に伝授する。あるいは次の試合でやるべき一手を提案する。先のカタログの例と異なり、映像は選手にも見やすく投影されている。しかし、コーチの視線は主に映像に注がれ、見える者をなぞる説明が繰り返される。
 コーチ業を選手に対する営業活動に例えれば、このタイプの営業社員の成果は、ごく平凡なものだろう。次の試合でこれを成功させたいと選手に強く思わせるには、彼らの中に想像力の種を植え付ける必要がある。
 分析担当者からコーチへの情報提供の場合も同じだろう。数字や映像だけを提示しても広がらない。それらを元に相手の想像力を刺激したい。

プレゼンの向きを変える
 海外の名指導者が集まるトップリーグには、今年もコーチングに関する数々の情報が注ぎ込まれた。その中で、非常に感心するものがあった。それはゲームのレビューに関する手法である。
 コーチから選手へ、ではなく、選手からコーチへ。試合が終わると、選手が自らの良いプレイと悪いプレイの映像を3点ずつ編集し、月曜日の朝に担当コーチにプレゼンをする。コーチの役目は、選手が気づいていない部分を指摘することのみである。
 慣れるまで選手は大変な思いしたらしい。これまでは試合翌日はゆっくり休み、月曜日に座って話を聞くだけだった。それが、試合翌日にクラブハウスへ来て、慣れない映像編集をしなくてはいけない。最も大変なのは、編集作業を通して自分で自分を評価することだろう。

 しかし、選手の順応は意外と早かったとも教えてもらった。そして、その成果は大きかった、とも。

 「まず、相手の心の中に強い欲求を起こさせること。これをやれる人は、万人の支持を得ることに成功し、やれない人は、一人の支持者を得ることにも失敗する」
『人を動かす』デール・カーネギー

 コーチは多弁になる必要がなくなり、選手の中に成功欲求と想像力の種が植え付けられたのだろう。

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