治ったな。目覚めた瞬間に分かった。
前日の高熱はすっかり下がったので、1人でリビングで日記を書いていると、娘も起きてきた。こちらも調子が良さそうだが、妻はまだ寝ている。
「テレビを見ていい?」と娘が聞いてくる。今日は病み上がりで、1日中家で過ごすことになりそうだ。それに日記の振り返りを続けたい。
「今日は特別。好きなだけ見て良し」
私は15年前から日記をつけている。5年練用日記なので、2025年元旦から4冊目に入った。読み返すと、覚えていないことばかりだ。
日記によると、15年前の正月は大阪で過ごしていた。全国高校ラグビー大会開催中の花園ラグビー場にて、デフラグビーの普及活動をしていたのだ。
3日の準々決勝は、チラシが最もはけた。配布場所は、いつもメインスタジアムの中央ゲート。準々決勝からは、ガラッと客層が変わる。それまでは出場チームの保護者や関係者が多いのだが、この日からラグビーファンが多数派になるのだ。すると、観戦に関係のありそうなチラシは、向こうから取りに来てくれる。(実際には観戦とは関係ないのだが、ありがたいことに皆さん、好意的に受け取ってくれました)
子どもが隣で「ハハハ」と声を出して笑っている。「この番組が終わったら、一緒に日記を書こう」と誘ってみる。「嫌だ」。
両親に勧められて(というか強制的に)娘も日記をつけているが、なかなか書きたがらない。私が始めたのは、2010年だから35歳の歳。もっと早くから始めれば良かったと思う。
さて、高校ラグビーは正月2日には試合がない。私は両親、兄と一緒に京都で過ごしている。まだ生きていた父は、京都の寺巡りが好きだった。私は全く興味が無かったが、家族行事として付き合っていた。
2日は例年、六波羅蜜寺の訪問日。空也上人立像で有名なお寺だ。口から小さな仏様がチッチッチと飛び出している、アレです。空也上人が唱えた「南、無、阿、弥、陀、仏」のお念仏六字が、阿弥陀様の姿に変わったという伝承を再現したもの。
このお寺では、正月3日間、新年の無病息災を願う皇服茶(おうぶくちゃ)が振る舞われる。京都では、一般にも正月に「大福茶」を飲む習慣があるが、六波羅蜜寺のものは最初に天皇が飲まれたお茶なので「皇服茶」と呼ばれる。
ここまで6行、すべてウェブサイトで調べました。こんな逸話は、当時は全く知らず。しかし、日記とウェブサイトの写真を眺めて、少しずつ記憶が蘇ってくる。
展示スペースに鎮座する「平清盛坐像」は、思いのほか小柄で、表情も温和だったなあ。平家物語が描く清盛とは別物でした。
「テレビ、飽きたー」の声が聞こえてくる。「じゃあ、日記を・・・」「嫌だ」
今は褒美目当てに何とか続けていますが、もう少し大きくなったら娘は日記を止めてしまうでしょう。でも、大人になってから再開する気がします。親が「これはいい」と子どもの前で続けてきたことを、子どもは覚えているもの。
5年練用日記をあと2冊書き終えた頃には、私も寺巡りを始めている気がします。