「正面の席は完売です」国際手話×能狂言 異色コラボを観劇 1

正面の席は完売です。

コラム77

3月19日の東京新聞朝刊の見出しに目が止まる。

国際手話×能狂言 異色コラボに挑む デフリンピック見据え 品川で明日披露

以前、日本手話による能狂言を紹介する記事を読んだことがある。手話の勉強も兼ねて行ってみようと問い合わせたが、チケットは完売だった。前回は公演の数週間前だったと記憶している。今回は公演前日。ダメ元で電話をしてみると、当日券があるとのこと。電話の向こうの声は、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ、という雰囲気。ただし、「正面の席は完売です」と強調された。

私は、能も狂言も観劇したことはないが、歌舞伎は何度かある。正面でなくとも十分に見られるし、演者との距離が近くて悪くない。席があるならそれで良いと気にせずに行ってみることにした。

会場は目黒駅から徒歩7分。快晴の下、ドレメ通りを歩く。祝日の昼間に観劇へ向かうというのは、特別な気分だ。通りから少し奥まったところに喜多能楽堂が見えた。外観は真っ白で、教会のようだ。開演10分前の到着だったが、当日券はまだあった。ここでもまず「正面の席は完売」と伝えられる。

能楽堂には、正面、脇正面、中正面の3種類の席があり、それぞれ特徴があるようだ。脇正面は、舞台を真横から見る席で、橋掛りという通路があるため、間近で能楽師を見られる。中正面は、正面と脇正面の中間で全体を見渡せる席だが、柱があるためやや舞台が見えづらい。喜多能楽堂には、これに加えて2階席もある。2階のある能楽堂は全国でも2つだけらしく、珍しがってこちらを選ぶ人もいると、受付の方が教えてくれた。空いているのは、この2階席か脇正面のみ。間近で見てみようと脇正面の通路側を選んだ。

ロビーの壁も真っ白で、窓から陽の光が降り注いでいる。劇場というよりも美術館のようだ。能舞台も大変綺麗である。2年間、改装工事をしていたとのことで、この日が再開初日なのだ。

上演の前に、手話通訳付きの解説が始まる。解説は、大島輝久氏(シテ方喜多流)。新聞記事でもコメントをしていた方だ。この時の手話は国際手話ではなく、日本手話である。脇正面の席だが、通訳者は舞台の奥に立っているため、よく見える。演目は、手話狂言「瓜盗人」と手話能「土蜘蛛」。手話狂言は、日本ろう者劇団による公演。手話能は、能役者が国際手話で演じる。

これは新聞記事で大島氏が解説していたのだが、「能の立ち役はせりふを話す時、基本的に止まっていることが多く、手話を入れても型を省く必要がない」とのこと。「そもそも、能の型と手話は成り立ちが同じ」で、手話と同様に「能には『この動きはこれを表す』という決まりが観客との共通認識になっている」らしい。

当日の解説では、海外公演にまつわるエピソードも紹介された。日本手話に加えて、国際手話による海外公演も実施したが、どちらにもメリットとデメリットがあるという。国際手話のメリットは、広く理解してもらえるということだ。手話は世界共有ではなく、国や地域によって異なる。日本手話よりも国際手話を使う方が、当然理解してくれる人は多い。その一方で、文化的な側面が国際手話のデメリットとして挙げられた。例えば、「結婚」を表す際に、日本手話であれば、片方の手の親指と、もう一方の手の小指を合わせることで示すが、国際手話の場合、指輪をつける薬指の部分を指さして表現する。能は、今から600年前の室町時代に日本で完成されたものであり、手話表現とはいえ指輪を登場させるのは違和感がある。

国際手話は、国際会議やスポーツイベントなどで、通訳を介さずに意思疎通を図るために作られた手話であり、どの国の人もわかりやすい表現が選ばれている。ただし、芸術の場合、単に伝われば良いというわけではなく、文化的な面も考慮して表現を選ぶ必要があるようだ。

解説が終わると、手話狂言「瓜盗人」が始まる。橋掛りより、演者が登場する。脇正面席の私からは、演者の表情から衣装までよく見える。演者が正面に移動し、録音された音声に合わせながら、演技が始まる。

演者は、正面席に向かって演技をするが、脇正面からも見えないわけではない。ただし、国際手話に慣れていないので、じっくりと見たいし、演者の表情も見たいのだが、斜めからはやや見えにくい。「正面の席は完売です」と繰り返しアナウンスされた理由はこれか、とようやく理解した。