観客動員で大成功
第25回夏季デフリンピック東京大会が11月26日、閉幕した。報道によると、約28万人が観戦に訪れ、目標の10万人を大幅にクリア。多くの聞こえる人、聞こえない人が会場に足を運び、人気競技は入場制限となることもあった。私は10会場を視察したが、平日の午前中でも会場に入れないことがあった。
大会期間中、多くの人に聞かれたのだが、ラグビーはデフリンピック競技として採用されていない。聴力規定が異なるためだ。デフリンピックの規定は良い方の耳が55dB以上。デフラグビーは両方の耳が40dB以上。したがって、デフラグビーは軽度難聴者でも参加できる規定となっている。デフリンピックは100年の歴史を持つが、デフラグビーが始まったのは30年前と後発の競技であり、しかも15人制ラグビーの場合、リザーブを含めると1チーム23人も必要であるため、選手数確保のため、軽度難聴者の参加も認めたと聞いている。
デフラグビーは、単体での国際大会をWDR(ワールドデフラグビー)主催の形で実施している。来年11月には、7人制世界デフラグビー大会が、東京で開催される。日本での開催は初めてである。デフリンピックの会場を回っていたのも、運営や強化のヒントを得るためでもあった。
競技による情報保障の違い
各会場を回ると、競技によって情報保障に違いがあるのが分かる。競技特性を反映している面もあるが、デフ選手やデフ観客への理解の差もあるように感じた。例えば、バスケットボールでは、審判の笛に合わせて、バスケットゴールの周辺やバックボードに設置されたライトが光るようになっていた。反則に気づかずにプレーを続けることがないようにする配慮である。陸上短距離のスタートランプも、デフスポーツならではの仕組みである。これは、スタート音を光の合図で知らせる装置である。ピストルと連動し、オン・ユア・マークス「赤」、セット「黄」、号砲「緑」と色の変化によって選手に合図を知らせる。これにより、選手たちは、聴力レベルに関係なく同条件でスタートをきることができるようになった。
こうした工夫があれば競技者は増加し、競技力の向上にもつながるはずだ。陸上やバスケットボールの日本選手たちが好成績を納めた要因の一つだろう。
テニス会場で感じた違和感
その一方で、特に配慮をしていない競技もあった。その一つがテニス。私が見た試合は、ヨーロッパの選手同士の試合だったためか、大きな有明コロシアムの中で、観客は数える程度だった。
審判は、口頭で伝える点数の声が妙に響いていた。点数が表示されている掲示板は、小さく見えにくい。それでも、試合はスムーズに進行していた。デフテニスの選手たちは、点数に関する情報が必要ではないのかもしれない。一方で、聞こえない観客への配慮も特になかった。
テニスでは、選手がプレーしている間、観客は移動や立つことはできない。それを知らない観客の1人が、「座ってください」と審判から注意を受けたことがあった。これも、マイクを使った口頭でのアナウンスだった。この時の観客は聞こえる人だったようで、すぐに席についた。しかし、これがデフの観客だったら、どうなっていたのだろう。理解できず、試合は数分間中断したかもしれない。デフリンピック競技の観客席にて、なぜ理解しにくい口話で注意を受けなくてはいけないのかと、その観客は不愉快に思うだろう。
大会のビジョンは、「誰もが個性を生かし力を発揮できる共生社会の実現」だが、これに反する対応であり、閑散としたスタンドにて、試合の意義を見つけることが難しかった。
ルール解説も情報保障の一つ
もう一つ、各会場で感じることがあった。ルールに関する情報が少ないことだ。私が回った会場内で、競技ルールに関して何らかの情報提供があったのは、デフビーチバレーだけだった。同会場では、D Jがプレイの合間に音楽を流して、会場を盛り上げる(テニスとは大きな違いだ)。その合間に、得点によるコートチェンジのルールを伝えてくれた。それらは、文字情報となって示されていた。(変換エラーも多くあったが)
柔道やレスリングなどは、子どもの頃に自分も親しんだのでルールは分かると思っていたが、以前とは随分変わっているようで、どのように勝敗が決したのかが理解できない。自分で検索して調べてみたが、その間に試合が終わってしまった。
サッカーやバスケットボールの決勝戦はYoutubeライブで観戦。そこには手話解説と音声解説がついていて、観戦の面白さは深まる上、手話の勉強にもなる。これを全試合、全競技にて実装するのは経費の面で難しいと聞いているが、それならば、ルールをまとめたプリント一枚を会場内で配布するだけでも良い。競技関係者にとっては、「常識」かもしれないが、国際大会には多くの素人が多く来てくれるのだ。ラグビーでも、このチャンスを逃すことなく、聞こえる人も、聞こえない人も存分に観戦を楽しんでもらえるようにしたい。
大会後に感じた不安
デフリンピック東京大会が閉会してからの数日間、私は何となく落ち着かない気持ちで過ごしていた。1年後に、自分たちは同レベルの大会ができるのだろうか。そういう不安なのだと思い当たった。
デフラグビーの過去の国際大会は、小規模なものだった。例えば会場は、大学内のグランドで、観客席はなし。もちろんIDコントロールなどもなし。一方、来年の日本大会は、都内のラグビー専用スタジアムが会場の候補になっている。デフリンピック観戦で、デフスポーツの魅力を知った人が、観戦に来てくれることが予想される。大会準備に関しては、不安要素は多いが、一つずつ対応していくほかないだろう。
26年2月からは代表選考合宿が始まる。デフリンピックに出場した他競技の選手の参加も予定されている。そこから8ヶ月間の強化を経て、来年の銀杏が黄色に輝く季節には、聞こえない人も、聞こえる人も熱狂させる試合をお見せしたい。
