新年のご挨拶。2026年デフラグビーセブンズ日本大会に向けて

新年、明けましておめでとうございます。

東京の元旦は、不思議と天気が良いですね。今日も気持ちの良い青空が広がっています。気持ちが良いので、いつも正月に多摩川の河川敷に散歩をします。途中に多摩川浅間神社という神社があります。この神社は高台にあって、晴れた日は富士山がよく見えます。ただし、三が日は初詣客でいつも長蛇の列。いつもふもとから手を合わせて通り過ぎます。

この神社の歴史は古く、鎌倉時代まで遡るそうです。北条政子が富士山に向かって手を合わせ、夫(源頼朝)の武運を祈ったそうです。※1

デフラグビーワールドセブンズが2026年秋に日本で開催されることが、昨年末決まりました。普段は信心深くない私も、今は武運を祈りたい気持ちです。

 

日本でのデフラグビーの大会開催は初めてです。過去、日本で実施された唯一国際試合は、デフオーストラリアとの親善試合。2011年の10月でした。これは私の現役最後の試合でもありました。

 

結果は2連敗で、私は試合終了後にロッカーで泣いてしまったことを覚えています。試合後に泣くなんて、これが最初で最後です。悔しさの涙ではなく、試合が無事終わったことの安堵から涙が溢れてきました。

 

当時のデフラグビーチームは、選手がスタッフも兼ねて運営していました。私は軽度難聴なので電話もできるし、英語も話すので、オーストラリア代表の受け入れや日本ラグビー協会とのやり取りを担当していました。中心選手でもあったので、日々トレーニングをして、練習メニューも自分で考えていたと思います。

 

当時は、茨城県つくば市にある茗渓学園の英語教員でもあったので、それらの活動は全て校務の合間に行っていました。

試合に勝つとか負けるとよりも、なんとか試合を成立させることで精一杯。2試合目が終わった瞬間、緊張の糸が切れたのですね。

この試合で引退すると決めていたわけでなかったのですが、その後、校務が忙しくなり、子どもも生まれたりして、デフラグビーの活動から少しずつ離れてしまいました。そして、自然と引退しました。あの時のような生活はもうできない、という思いも少しありました。

 

23年秋より、私はクワイエットタイフーンのヘッドコーチとなり、24年夏には南アフリカへ遠征してきました。現在も選手がスタッフを兼ねることはありますが、遠征中は選手に負担がかからないよう、スタッフが取り仕切っています。

 

日本大会の開催は26年秋の予定です。

選手たちが、家族や友人たちの前で躍動し、これまで活動を支えてきてくれたサポーターへの恩返しとなるような大会にしたい。そして、デフラグビーに参加する選手をさらに増やしていきたい。

そして何よりも、今の選手たちが、大会を終えた時に、デフとして生まれてきて、この大会に参加したことを誇りに思って欲しい。

2025年の1年を大切に過ごしていきたいと思います。

※1多摩川浅間神社ウェブサイトより https://www.sengenjinja.info/about/index.html

※2 デフラグビーワールドセブンズ日本で開催決定 https://deaf-rugby.or.jp/2024-12-25/

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