歴史が足りない その1

25年3月は、私にしては講演が多い月だった。ラグビー分析関係のセミナーが2つ。1つは主催者、もう1つは登壇者として参加。残る一つは、都内の日本語学校での講義。日本語教師の同級生より頼まれた。テーマは、日本で働く外国人が興味を持てるものならなんでも良いから話してくれ、と。対象となる生徒は、20代から30代のアメリカ人と中国人10名程度だ。

「アメリカの高校生は、なぜ授業中に居眠りをしないのか」

演題をこれに決まった。これは、私自身が高校生だった時の「卒業論文」でもある。母校では、自分が興味のあるテーマに関して、高校2年時の1年間で研究を行うという授業があった。私は高校在学時に交換留学でアメリカへ行かせてもらった。その際の経験や帰国後のアンケート調査をもとに、前述の論文を書いたのだ。今思うと、新書のタイトルのようである。高校生の研究なので、内容は大したものではないが、私にとっては思い出深い「第一作」なのだ。

さて講義当日、自己紹介の後に、次のように切り出した。「日本の高校生は、授業中に居眠りをします。私もそうでした」。受講者は驚くかと思ったが、そうでもなかった。「私も・・・よく・・寝ました」と日本語で返ってきた。

「え、そうなの?」と私の方が驚いた。私が留学していた頃、アメリカの高校生は全く居眠りをしないことに驚いたのだ。そうでなかったら、こんな研究はしない。時代は変わったのか、と思いつつ、話を進める。

「私の調査における結論は次の3つです。1つ目は受験制度の違い。アメリカでは学校の成績が大学進学に大きな影響を持つが、日本では入試の点数が良ければ、有名大学に入れる。受験にプラスでなければ、寝てしまう学生は多かった」

「2つ目は文化の違い。皆さん、電車に乗ると寝ている人が多いのに気づきましたか。皆さんは、電車で寝ますか」。今度は、期待通りの反応が返ってきた。「いや、寝ないよね」「ニューヨークなら絶対危険」「地下鉄で寝たら、荷物は無くなってしまうね」。ただし「自分は日本でもアメリカでもいつも寝ている」という人もいた。常に例外はいる。

「3つ目は、授業形態の違い。アメリカはディスカッション形式の授業が多い。そしてアメリカ人はディスカッションが好きだから、寝ない。日本の授業は大人数での講義が多い。話を聞いているだけだから、どうしても眠くなってしまう」

中国側とアメリカ側は対照的な反応

講義後は、2つのグループに分かれて、日本語でディスカッションをしてもらうことにした。私も1つのグループに参加する。参加者にとっては、習得中の日本語での会話なので、言いたいことがすぐに口から出てこず、もどかしい。でも、思うところを色々と話してくれた。中国人とアメリカ人とでは授業に関する感覚が、大きく異なることがわかった。ただし、例外もいる。

中国では、日本以上に講義が多く、しかも大人数だという。そのため、寝る学生も多かった。一方でアメリカ人は、人それぞれ。自分は教師が見えないように寝ていたという人もいれば、教師がとても厳しい人だったので、とてもじゃないが寝れないという人も。

私は、日本史の授業の思い出を話した。それは「とてもじゃないが起きていられない授業」だった。その授業では、教師は時間の半分を板書にあて、もう半分は下を向いて話すだけ。生徒はノートに写すだけで、発言は求められない。教卓には、教師が長年使い続けている、分厚いノートが置いてあり、もう何年も全く同じ内容の授業をしていることは誰でもわかった。午後の授業であれば、クラスの半分以上は夢の中だった。「催眠術でも使っているようだった」と話すと、参加者の皆さんは笑ってくれた。話すのに比べて、皆聞き取りはかなり上手である。

深まらない討論

笑った後の反応は、中国側とアメリカ側で対照的だった。「中国の授業はもっとひどい。なんと言っても中国の歴史は長いから」と、王朝名を列挙してその長さを伝えたが、こちらに知識がなくて理解できず。

一方のアメリカ人は自嘲気味に「アメリカの歴史は短いから、そんな授業はすぐに終わってしまう」「だからディスカッションをする時間がある」などと言う。そんなはずはないだろう。確かに歴史は短いが、掘り下げれば、時間が足りなくなるほどの事件は数多とあるはずと言おうと思ったが、ではアメリカの歴史的事件とは、と考えて、思考が止まる。こちらに関しても知識不足。アメリカの高校で、1年間学んだはずなのに。

そんな具合にディスカッションは、テーマを深めることなく終わってしまった。参加者にとっては外国語で意思疎通が難しいという面はあったが、相互の歴史を知らないということは明らかだった。歴史が長いか短いかだけで授業の形態が変わるわけではない。時代背景があり、それが文化となって、行動様式が決まる。授業のあり方も変わる。しかし、その時代背景の私の理解が、20代の若者と同レベルでしかなく、深みのある会話にならなかった。

帰宅後も空疎な気分が続く。こんな時は、新たな知識で頭を埋めたくなる。本棚を眺めていると、ちょうど良さそうな本があった。

その2に続く