誰の言葉か忘れてしまったが、「繰り返し読む本が5冊もあれば、あなたは立派な読書家です」と本にあった。自分にとっての5冊は何か、と考えた。
あれ、ないな。
愛読書が1冊も出てこない。あんなにたくさん読んできたのに?現在も毎日のようにアマゾンをクリックしているのに?
でも、これには理由がある。
10年前に初めて本を出した。そこからは趣味の読書というのはなくなり、どんなカテゴリーの本も仕事につながるのでは、という意識で読んでいる。同じ本を繰り返し読むという習慣自体なくなってしまった。
ではもっと昔の学生時代を思い起こしてみる。
①村上春樹 「ねじまき鳥クロニクル」(学生時代に村上春樹はどれもよく読んだが、この作品は社会人となってからも、なぜかふと読み返したくなった)
②ボブ・グリーン「アメリカン・ビート」と③沢木耕太郎「バーボン・ストリート」(20代のコピーライター時代に「こういうエッセイを書いてみたい」と思い、文章のリズムを学ぼうと丸写しをした)
④レベッカ・ブラウン「体の贈り物」(30代の初めに通信教育で英語の教員免許を取得。その際、教材の中で知った作家。ほとんどが中学英語の単語で書かれており、苦もなく原文で小説が読めたことが嬉しかった。また、その文体とテーマが心地よかった)
えーと、これで4冊。
もう出てこない。これでは寂しい。
そこで、アマゾンをポチッとしたのが「読書は1冊のノートにまとめなさい」(奥野宣之著)。
これまでこの手の本は嫌いだった。読書の「テクニック」なんて邪道だ。本来、読書とは好きでするものだ。でも、認めよう。今は好きだけで読書をしている訳ではない。仕事なんだから、メモを取るべきだ。
本に直接メモを書くことも多かったが、読み返さす機会がないのだから意味がない。ノートが必要だ。
本書には様々な読書術が紹介されているが、主張は一つ。「読書をしたらメモを取れ。そして、ノートでもブログでも何でもよいので、記録しろ。将来、絶対に役に立つ」。
早速実践。最初はメモが面倒で読書量自体が減った気がするが、慣れてくればメモを取らないほうが不安になる。
そうしたメモをもとに始めたのが、この書評コーナー。
これを続けていれば、冒頭のような曖昧な書き出しをしなくて良くなるはずと期待している。